中国の歴史認識を世界があるがままに受け入れてきたこの二千年間が一つの転換点を迎え、中国に対する批判的な見解が主流になり出したのが2010年代の新冷戦期だったわけですが、ここで皮肉にも浮かび上がってきたのは、まさにその中国を代表する歴史家として有名な司馬遷なわけであります。
たしかに司馬遷は前漢の歴史家として、前漢を中心とした「漢」的世界観の形成に多大な影響を及ぼしてきたようには思われるわけですが、実は彼自身は徹底したアナキストであり、主流の歴史認識に対しては一貫して異を唱え続けていたわけであります。
その象徴が漢民族の世界観においては軽視されがちな楚の項羽だったわけであり、司馬遷は彼を本紀において秦と前漢をつなぐ存在として重視したわけであります。
それはさながら短命に終わった民主党政権を重視するかのごとくであり、私にとっても2000年後に生きるものの見方として大変参考になるわけであります。
むしろ勇気を与えられたと言ってもよい。
司馬遷は先の先まで見据えていた。
彼は前漢期に起こりつつあった「主流」の見解が一定期間有効であることを認めたうえで、その賞味期限に早い段階で気付いていたわけであり、そこに先手を打つかたちで楚の項羽を差し込んでいたと見ることができるでしょう。
もちろん彼自身はその主張が生前評価されることはなかったわけですが、それから後二千年後の今日において私によってその主張が回収されているわけですから、十分満足しているでしょうし、なんなら二千年後に生きるわれわれよりも二千年間先んじたものの見方をしているということを内心確固たる信念のもと抱き続けていたのかもしれません。
世の中にはそのようなかたちでしか評価されない主張というものがあるということですね。
またこのことは、昨今新冷戦なる概念のもとに浅はかな中国批判を繰り返す自称保守に対する痛烈な打撃にもなりうる。
彼らは表向き中国批判をするものの、その内容の薄さゆえに一貫して的外れであり、対中国という点においてなんら役に立つところがない。
そもそも漢という漢字そのものを日本人が教養あるものとして受け入れ、疑念を抱くことすらないわけですから、当然といえば当然の話なのかもしれませんが。
あるいは三国志における蜀漢正統説をそのまま受け入れた劉備玄徳や諸葛亮孔明を英雄視する説など。
中国批判をする人々が反面中国の「漢」的世界観をありのままに受け入れているという現実こそ司馬遷が二千年前の時点で見抜いていたものであり、そのことを彼は『史記』において楚と前漢を並置することで示唆していたわけであります。
われわれはこうした種類の遅効性のある思想を少しでも理解する必要がある。
中国の主流の歴史認識を批判するために、主流の歴史家を読む。
一見すると矛盾するようにも思われるかもしれませんが、それだけこの二千年にわたって司馬遷は誤読され続けてきたということであり、その誤読をただすという意味でこの批判は単なる中国批判を超えた価値を有するわけであります。
中国を批判するということは、むしろその本質を正当に評価するということでもある。
そもそもわれわれはあまりにも前漢の歴史認識に縛られ過ぎているわけであります。
そのことに対する警鐘を他でもない前漢の歴史家がしていたということこそが重要なわけであり、彼はまさにそのための道具として楚の項羽を使っていたわけであります。
言うまでもなく中国には前漢や蜀以前にもはるか悠久の歴史がある。
このことに対する見直しを司馬遷は要求していたのかもしれません。
と同時に、前漢の歴史家として前漢の歴史にも真っ向から向き合う。
そこが彼のフェアに物事を見るという性格の一貫していた部分でもあり、そこが彼を前漢を中心とした歴史認識においても主流の歴史家とした理由なわけでありますが、同時にその見方が廃れた場合にも代替案を提示していたということも忘れてはなりません。
前漢を肯定する見方にも、前漢を否定する見方にも、その両方に与しうるのが彼の個性だったわけであります。