BitTorrentの記憶から探るBitcoinの歴史

Bitcoinそのものは私自身存在を認識して1、2年やそこらなのですが、かつてP2Pという文脈で連続性のあるBitTorrentを触っていた経験があるため、すんなりと入ってきたというのが正直なところです。

ですからBitTorrentに肩入れした見方にはなってしまうものの、現時点でBitcoinの歴史についてわかっていることをまとめてみたいと思います。

まずルーツとしては90年代のサイファーパンク運動が挙げられ、ここで既に非中央集権や検閲耐性といった概念が出てきます。

ブロックチェーン技術のもとになるものはHaber/Stornetta論文であるといわれ、ここで既にハッシュ値のタイムスタンプによるチェーン構造というものが生み出されています。

そして重要なのはAdam BackのHashcashであり、スパム対策としてコスト計算と課金を結び付けたものであり、これがのちのPoW(Proof of Work)の原型ともされています。

つまり、ブロックチェーンとPoWというBitcoinの肝となる要素は既に90年代の時点で原型ができあがっていたのです。

更に98年にはb-money、Bit Goldなど概念的にも名称的にもBitcoinの直接の祖先といえるような技術が発明されていきます。

2004年にはHal FinneyがHashcashを再利用可能にし、また彼は後にBitcoinの初期のテスターとして、一部ではサトシ本人ではないかとして都市伝説的に名前が挙げられる人物でもあります。

このようにサイファーパンク由来の通貨の歴史というものは明確に存在するのですが、ここでいわゆる「クリプト民」によって見落とされがちな領域が出てくるわけであります。

それが「ファイル共有」です。

日本ではWinnyが有名ですが、世界的にBitcoinにも影響を与えうる立場にあったのはBram CohenのBitTorrentであります。

とりわけ2000年代のP2P文化において完成形といえたのは名実ともにBitTorrentであり、これはいわゆる海賊党文化とも密接に連動しています。

北欧を中心に栄えた海賊党文化からはThe Pirate Bayのようなサイトも登場しており、2000年代のサイファーパンク・P2P文化の一つの典型といえるでしょう。

その中でも異端として知られたのがスイスのチューリッヒ工科大学が関わるプロジェクトとして知られたBitThiefでしょう。

BitTorrentコミュニティではファイル共有の名の通り分散化されたアップロードに協力する必要があり、その対価としてファイルそのものの高速ダウンロードが可能になるという特徴がありました。

つまりインセンティブは「高速ダウンロード」だったわけであり、これは当時のBitTorrentの売りでもありました。

しかしBitThiefとその論文はアップロードに協力しなくても高速ダウンロードが可能という「ファイル共有」の定義を根本からねじ曲げるものであり、これは当時コミュニティに衝撃を広げ、多くのTorrentサイトではBitThiefの利用そのものが禁止されることにもなりました。

しかしその後は日本でもBitCometが流行するなど、こうしたルール違反のツールはあとを絶たず、回線の高速化による高速ダウンロードそのものの魅力低減もあいまって、インセンティブの弱さによるTorrent文化衰退を象徴してしまったのは事実であるといえるでしょう。

サトシナカモトは自身の発明したBitcoinの通貨という性格を強調する意図と、当時のTorrentコミュニティの分裂といった流れに嫌気が差してか直接の言及は少ない、または消されているようですが、2000年代という時代において主流のP2PであったBitTorrentとそのインセンティブの弱さという問題意識を認識していなかったという方が無理があるといえ、背景として意識されていたのは確実であろうと思われます。

実際に暗号資産関係者にはBitTorrentを直接買収したものもおり、これは今日では$BTTというインセンティブ付きのファイル共有暗号資産として再構築されています(実用性は薄いですが)

このBitTorrentからBitThiefという流れも、Bitcoin誕生前夜のP2Pの話題としては無視できないものといえるでしょう。
そしてそれは海賊党文化と深く結びついていたのです。
これはBitcoinのもつ非国家的性格とも矛盾しないものといえるでしょう。

そしてこれらの技術を統合したP2P通貨として誕生したのがBitcoinだったのです。