前漢の歴史家にして『史記』の著者としても知られる司馬遷であるが、中国を代表する古典的な歴史家という評価とは裏腹に彼自身は徹底した非主流派であったことが知られる。
とりわけ彼の批判はまさに彼の生きた時代である前漢の歴史認識において冴え渡っており、彼は短命に終わった西楚の項羽を本紀に含むことで暗に前漢において既に確立されつつあった主流の歴史認識に異を唱えている。
このことは(それが実際に中国人の主流の歴史認識にはならなかったことから)しばしば軽視されがちであるが、実はここにこそ司馬遷の歴史認識の肝が含まれているわけであり、この肝を理解しないかたちでの「誤読」こそが今日にいたるまで漢民族を中心におこなわれてきたと言えるだろう。
そして他でもない、昨今世間を騒がせている中国の立ち居振る舞いのルーツこそこの誤読に含まれているのである。
つまり漢民族、漢字、漢方といったように中国のありとあらゆる文化には「漢」の字が含まれるわけであり、この歴史認識のルーツは明らかに前漢にある。
その前漢の前に本紀として西楚の項羽を取り込んだ「異端児」が司馬遷だったのである。
たしかに彼は中国の主流の歴史認識においては異端児であった。
しかし、今日その中国の歴史認識に批判的な意見が出回るようになった昨今においては、改めて司馬遷の歴史認識が問われることになるのではなかろうか。
中国が批判される今こそ、まさに中国的な歴史家の司馬遷は読まれるべきなのである。
それは外圧などではなく、まさに中国の内側から起こる動きであり、それも2000年前には存在していた動きなのである。
たんにそれが見過ごされてきたにすぎない。